樋爪中七が求めた応挙の幽霊図
当寺に伝わる二幅の幽霊の掛け軸。一幅は江戸の終わりころ、大檀那の樋爪中七が京都へ出かけた折「円山応挙の幽霊の掛け軸」を買い求めて家に持ち帰り床の間に掛け飾りましたが、妻や子供たちの反対にあい、長い間蔵にしまったままになっていました。そのことがとても気がかりである日、この幽霊の供養してほしいとお寺へ持って来ました。住職がお経をあげて供養しますととても心がすっきりしたのでそのままお寺で供養を続けてほしいとお寺に預けられました。
細身の幽霊図
もう一幅は骨董商の方が能登の地に入り急に商売がうまくいかなくなり、売り物を整理していると中に幽霊の軸が見つかりました。この幽霊の軸が何か原因ではと考えていたところ穴水の来迎寺に幽霊の掛け軸があると聞きやってきました。そして中七さんの幽霊と同じく供養してほしいといわれ、また住職がお経をあげ供養しますと商売がうまくいく様になったので喜び、この幽霊の掛け軸もそのままお寺預けられました。それ以来、幽霊の掛け軸は二幅となり並べて掛けられておりますが、その姿がよく似ていたのでこの二人の幽霊は姉妹だったのではと町の人々の間でうわさになりました。