古刹来迎寺
弘仁5年(814)嵯峨天皇の勅願により中川実範大徳が建立。総寺号を勅定山青龍寺として数多くの坊舎を有していました。青龍寺時代には平家物語にも登場する初代穴水城主長谷部信連の菩提寺として、またその子孫長家の祈願寺として篤い庇護を受ました。天正5年(1577)の兵乱の際多くの坊舎を失うが江戸時代に入り宇留地関寺より阿弥陀如来を本尊に迎え寺号を「来迎寺」と改めました。
名勝 来迎寺庭園
県指定文化財
鎌倉期に上総丈介(かずさのじょうすけ)という落ち武者が能登の地へ逃げ延び、当寺で身を隠していたとき、そのお礼に寺の前を流れる山王川より河石運び造ったと伝えられます。江戸後期に現在の形に改造れたとされる心字池は池の形が「心」という字を一筆書きした形となっております。
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ライコウジキクザクラ
県指定文化財 天然記念物
山桜系菊咲きで長谷部信連お手植えと伝わる。開花時期は四月下旬から五月中旬頃までで花期は長い。その花の径は平均四センチと大きく、花弁総数も平均二一四枚、多いものは三〇〇枚を超えるのが特徴。花弁もつぼみの時は濃い桜色で、開花時にはやや濃淡になりその変化も美しい。
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二幅の幽霊図
来迎寺には古い幽霊図の掛け軸が2幅ある。
ひとつは円山応挙が書いたと伝わる掛け軸。あとひとつには昔、商人が商売がうまくいかなくなったという事でお寺に納めた掛け軸。
どちらの掛け軸もその姿がよく似ていたのでこの二人の幽霊は姉妹だったのではと町の人々の間でうわさになりました。
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